サーフィン発祥の地はハワイ。なかでも世界最大級の波が訪れる冬のオアフ島ノースショアは、サーフィンのメッカ。世界中からプロサーファーが集まり、国際的な大会も目白押し。
古代ハワイにおけるサーフィンは、老若男女問わず娯楽の代表だったけれど、19世紀初頭キリスト教宣教師の迫害で衰退。そして、1960年代に入り今度は世界の人気スポーツとして見ごとカムバック。今回はこのサーフィンの歴史をご紹介。
大酋長も貧民も村中がサーファー
ハワイ語でサーフィンは「ヘエナル」(ヘエは滑る、ナルは波)。海を愛するハワイアンはあらゆるオーシャンスポーツの達人だけれど、なかでもハワイのスポーツの王者といえばサーフィンでしょう。
ボードにうつぶせになって波に乗るブギーボードは昔から太平洋沿岸、西アフリカの各地で盛んだったことが知られていて、ボードの上に立ち上る今のサーフィンにまでテクニックを発展させたのは、世界中でハワイアンだけ。つまりサーフィンは、まぎれもなくハワイ生まれのスポーツというわけ。事実1778年、南太平洋の島々を旅した後ハワイ諸島を訪れたキャプテン・クックは、ハワイアンが海を自由自在に泳ぎまわり、板の上に立って波に乗るのを見て驚愕。日誌に「…こんなに珍しく難しい危険な操作(サーフィンのこと)ができる大胆さは、驚きに値する」と書き残している。またクアナル(崩れる直前の波)、クアパ(崩れる最中の波)、ララハラハ(高まる波)など波を表すハワイ語がいくつもあることでも、ハワイアンが波のエキスパートだったことがよくわかる。
古代ハワイでは王族も貧民も老若男女がサーフィンを楽しみ、コンテストもよく開かれた。カメハメハ3世はサーフィンの名手だったことで知られるし、大酋長カライモクは60歳を過ぎても、直立で腕組みしながら背丈より高い波を乗りこなしていたといわれている。王族は4、5メートル、100キロもあるオロと呼ばれた大型のボードを使い、庶民はアライアと呼ばれた2メートル前後、10キロ以下のボードを使った。ビショップ・ミュージアムには数百年前に作られたというハワイ最古のボードや、有名な酋長が使っていた70キロ級のコアの木のボードなどが今も残っている。
このボード作りは神に通じた神聖な作業で、宗教儀式にのっとって行なわれた。ボードを作る木を選んだら、まずは根本に供物を捧げる。その上で木は倒され、必要な木材を切り出す。そしてボードが出来上がると祈躊師が祈りを捧げ、初めて海で使うことができた。ハワイアンはボードをそれは大切にして、使うたびにククイの木の皮で作った樹脂をワックス代わりに塗り、手入れをした。海から帰るとボードをよく乾かし、木の皮で作ったタパ布で丁寧に包んで、宝物のように扱ったという。
またサーファーは海で神に祈り、特別な呪文を唱えながらレイで海面を叩いて良い波を呼び寄せようとした。このことからも、大海原のただ中で自然(波)に挑むサーフィンは、その昔スピリチュアルな側面ももつ特別なスポーツだったことが伺われる。
キリスト教到来でサーフィンも衰退
このように古代ハワイの代表的な娯楽だったサーフィン。波のいい日は村中総出でサーフィンに出掛け、畑や諸々の作業場が空になることも珍しくなかった。コンテストはもちろん、腕のいいサーファーが勝負する時にはギャンブルも行なわれ、ビーチに陣取った見学者がワイワイはやしたてお祭り騒ぎになったという。
1821年、ボストンからハワイを訪れたキリスト教宣教師たちが、こんな様子を気に入るはずはなかった。加えてすでに述べたようなサーフィンにまつわる宗教性、そして当然ながらほとんど裸同然の、サーファーたちの様子…。
ハワイアンにキリスト教の倫理観を押しつけようと、ハワイ固有の文化の否定に躍起だった宣教師たちは、サーフィンをも「バカげた、無駄なアクティビティ」の項目に分類。フラダンスなどと同様、迫害のターゲットとした。
それまで生活の中心だった娯楽を突然「悪いこと」と決めつけられ、しかも宣教師たちに「遊んでばかりいないで働け」と追い立てられるようにして、ハワイアンたちは次第に海から遠ぎかることに。こうして1900年前後までにサーファーはほとんど姿を消し、サーフィンはほぼ「過去のスポーツ」になってしまった。ごく少数がワイキキ周辺で時折波に乗っている、というありさまだった。
もっともサーフィンの衰退は、宣教師の迫害だけによるとはいえないかもしれない。キャプテン・クックがハワイ諸島を発見し、西洋社会との交流が始まるにつれて、ハワイには風疹、結核など西洋の伝染病が蔓延。ハワイアンの数が短期間に激減した。つまり、単にサーフィンをするハワイアンそのものの人口が減ったことも、サーフィン衰退の一因になったといえそう。
サーフィンの父、デュークの功績
こうしてほぼ火が消えかけていたサーフィンだけれど、20世紀初頭、ワイキキから徐々に復活の兆しを見せ始める。当時増えつつあったワイキキの白人観光客たちが、サーフィンに注目。ハワイアンらをまねて、サーフィンを始めた。
続いて「近代サーフィンの父」といわれる、デューク・カハナモクが登場。優れた水泳選手でサーファーだった彼は1912年、ストックホルム・オリンピックにアメリカ代表として出場。100メートル自由形で世界記録を塗りかえ金メダルを勝ち取って、一躍「時の人」に。デュークはハワイの親善大使として世界中を周り、各地でサーフィンを披露。そして徐々にサーフィンを広めていった。
サーフィン人気に本格的に火がついたのは、1959年。それまでの木製ボードに変わって発泡ポリエチレンなど合成素材のボードが登場し、その使い勝手の良さ、手入れのしやすさ、安価なことなどから、多くの若者がサーフィンに挑戦するようになった。その頃いわゆるサーフミュージックがお目見えし、続いてサーフィン映画がブレイク。世界中にサーフィン人気が浸透して、70年代までにハワイ、カリフォルニアをはじめオーストラリア、∃ーロッパ、ペルーなどの南米、南アフリカ、日本など、それこそ世界中で楽しまれるようになった。
白人宣教師の迫害で一時歴史から消えかけたようにみえたサーフィンは、それから百年以上を経て、こうして見ごとに復活。再び老若男女が楽しむハワイの、いや世界の人気スポーツとして脚光を浴びることとなった。
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