私は1994年、スポンサーの依頼を受けて、ジャワ島東端にあるG-Land
の人里離れたサーフィンスポットを訪れていました。そして6月2日の午前2時に津波に襲われ、私が滞在していたキャンプは全滅し、私もあやうく命を落とすところでした。
G-Landは、インドネシアの鬱蒼としたジャングルの端にある人里離れたサーフキャンプで、砂浜にある竹でできた小屋で寝泊りをします。そのため、津波が来たときにはひとたまりもありませんでした。波が押し寄せて来る中、私は奇妙な轟音で目が覚めました。地面が揺れ始め、気づいた時には、私がいた小屋はまるでバスに轢かれたかのような衝撃を受けました。波が小屋を根こそぎ持ち上げ、空中に飛ばされました。何秒もしないうちに、小屋は私の周りでばらばらに砕けました。私は水に触れた途端、津波に襲われたことに気づきました。
私は波の衝撃であっという間にジャングルに流され、全てのものを流し去りました。波でさらに奥深くに流された私は、木にぶつかり全身傷だらけになりました。その時点で、私の命はあと数分しかもたないと感じました。その後もしばらく流され続けましたが、ようやく波の力が衰え始めたのです。
私は水中に沈み、足が木の間に挟まっていたので、水から上がって息をするために足を引き抜きました。そのときの無力感は筆舌に尽くしがたいものでした。私は暗闇で首まで水につかり、全身に痛みが走りました。他に生存者がいないかと思い始め、助けを呼ぶために叫ぼうとしましたが声が出ませんでした。水が徐々に引き始めたので、がれきから逃れようと砂浜を目指して歩きました。自分の小屋があった場所に立つと、後ろにあったジャングルは大木を除いて全てが流されていました。暗闇に目が慣れてくると、至る所にがれきが落ちていました。私は生き残ったのです!
空が白んでくると、津波の爪あとがはっきりと見えました。砂浜にあった小屋は全て流され、ジャングルがあった場所には、倒木や礁の破片が散らばっていました。しばらくすると、付近で死者が出たという第一報が届きました。私が最初に思ったことは、一刻も早くここから抜け出し家に帰るということでした。しかし、島を出るためのボートは全て流されたか破損していたのに加え、ジャングルを通り抜けて脱出するというのも不可能でした。
翌日の夜には、私の足は怪我のために2倍に腫れ上がり、歩けない状態になってしまいました。私は4日後に家に到着し、病院に直行してそれから2週間、抗生物質の静脈内投与を受けました。完治までの道のりは随分と長いもので、実際に起こった出来事を理解して受け入れることは困難を極めました。
津波に襲われたときには無意識のうちに生き残ることだけを考えていましたが、帰宅して家族や友人に会ってから、自分が生きていることがいかに幸運か、そして私が持っていたもの全てがあっという間に失われたことに初めて気づきました。
アジアの津波に関するニュースを見た時は、あの時の記憶が蘇ってきました。テレビに映る彼らが経験したことが手にとるようにわかりました。私たちを襲った津波の威力はそこまで大きくはなかったものの、恐怖感や無防備さ、自然の情けにすがるしかないという気持ちは同じでした。私たちを襲った津波は真夜中に来たので波が押し寄せる様を見ることはなく、もし見えていたらどのようなものだったのかと考えることがありましたが、アジアの津波の映像を見た時にその考えが現実のものとなりました。世界中の人が感じたように、私も、津波の映像や体験した人の話に心動かされました。それは、母なる自然を敬い、海を敬えというメッセージを私たち全員に発しているのです。
サーファーの多くは、海に対して敬意を払い、海がいかに危険であるかをよく知っています。被害を受けた場所の中には、アマチュアとプロのサーファーに人気のスポットもあります。こうした場所は観光が唯一の収入源であるので、今までサーフィンを楽しんできた人々は、短期的にも長期的にも彼らの助けになることはするべきだと思います。津波で大きな被害を受けた人々やその場所に恩返しをするために。
Richie Lovett